私の患っている【慢性骨髄性白血病】通称CMLは、潜伏期が一般的に、5~6年もあります。
それ故、症状が出始めるまでに時間がかなりあるので、自覚することが難しいです。
定期健診等で、たまたま見つかる方がほとんどで、私もその1人でした。
19歳から患っている精神疾患の精神科病院での、定期検査でたまたま発覚しました。
その病院では、通常2年に1回の定期検査が行われていましたが、私はわけあって4年ぶりの定期検査でした。

これが当時の検査結果で、すぐに県で1番の最先端医療が受けられる大学病院を紹介され、精神科も一緒に転院しました。
検査結果だけで、病名はほぼ確していましたが、骨髄遺伝子検査(マルク)も行い、確定しました。
血液のがんですが、この病気にはステージというものはなく、3つの期に分けられます。
慢性期・移行期・急性転化期 です。
診断の結果、私は移行期に入りかけ頃と言われました。
というのも、色々問診していくうちに、心当たりがありまくったからです。
疑うべきだった病気のサイン
19歳で重度のうつを患い、紆余曲折あってなんとかうつ病は、寛解しました。
が、1度重度うつを患うと、うつは脱しても、1度完全に壊れた頭が完全に、元に戻るのは難しいです。
30歳を過ぎてなんとか自立をしても、安定剤は相変わらず必要で、何かしらの病名はつきました( ̄▽ ̄)
希死念慮から卒業し、自分を傷つけなくなっただけで、発作や症状はなかなか無くならず、精神科の通院は続いていました。
その為、どんな病気のサインも私とママは「精神的なもの」と片付け、検査で発覚するまで全く病気を疑わなかったんです。
後に精神的なものではなかったと知った、私の身に実際起こった症状を、ご紹介します。
記憶力低下
私はここが症状の始まりだったと思っています。
病気発覚2年前、私はスーパーのレジ打ちの仕事に就きました(´▽`)
10代の頃にも経験があったので、覚えるのはそう難しくないと、割と自信がありました。
そうでもなくても記憶力に関しては、割と自信があったので、『慣れるまで頑張ればいい』と、楽に構えていました。
それが。半年後。
仕事自体には慣れていましたが、自分でも信じられないミスを連発するんです(T_T)
これにはかなりショックを受けました。
いい加減1人前になってもいい頃なのに。
つまらないミスが直りませんでした。
完全に自分に自信を無くし、緊張とストレスで発作を起こし、そのまま退職しました。
異様なダルさ
退職後、少し休んでまた頑張ろうと、休暇に入りました。
働いて、休んで、働いて、休んでの繰り返しの働き方を、うつ寛解してからずーっとだったので、私も周りもいつもの事と思っていました。
それが半年休んでも、一向に働く気になりません。
むしろダルさは増し、外出自体が面倒臭く、自然と友達付き合いも減っていきました。
そのうち完全な引きこもりになりました。
『働かなきゃ』と焦るばかりで、体が全く付いてきません。
この頃はまだママとは、たまに連絡を取るくらいで、ママはママで忙しく働いていました。
退職して1年が過ぎた頃、働く気は未だ起こらないどころか、ダルさはより強くなっていました。
お風呂が、10日に1度のペースになっていました。
今では考えられませんが、それほど苦にも不思議にも思っていませんでした。
判断能力がバグっていたように思います。
ご飯も『空腹が満たされれば何でもいい』という感じで、カップ麺だけの日もザラでした。
体力低下
ダルさがひどく、買い出しでさえ困難になってきた頃、ママから連絡がありました。
ただの近況確認の連絡でしたが、夏だったこともあり、
『暑さで体がダルくて買い物が大変』
と、そこで初めてママを頼り、週に1度一緒に買い出しに行くようになりました。
『精神的なものも原因でダルいんだろう』
2人ともそう思っていました。
寝起きの異常な汗
1日中引きこもっていた私は、1日中エアコンを付けていました。
もちろん就寝中も、ガンガンに付けていたんですが、ある朝。
人生で経験のない、シーツびっしょりの寝汗をかいて起きました。
正直始めは汗だと分からず、おねしょかと思ったくらいです。
何事かと思いましたが、ベトッとした嫌な汗でなく、サラッとした汗だったので、
『寝てる間にエアコン切れたのかな』
と、お気楽で、またもや脳内バグっていました。
それが3日続きました。が、4日目から治まったので、気にせず終わりました(-_-;)
吐き気
体力は日に日に落ち、この頃ママと買い出しに出て帰宅後すぐ、ベッドにダウンするようになりました。
病気発覚直前の買い出し後、帰ろうと車に乗り込むと、吐き気で動けなくなりました。
それでも私とママは不思議に思わず。
ここまで鈍感だと笑えますね。笑
骨?関節?体の痛さ
気にしてなかったので、いつからか正確には分かりません。
気づけば体中が痛くて、真っすぐ立って歩けなくなっていました。
が、脳内バグの私はこれも、
『1日中ソファーで同じ体制でいるから、体が固まったんだ』と、
よく分からない理由で納得していました。
この超鈍感親子は、全ての症状を「精神的なもの」と片付け、後に驚き悔みます。笑
特にママは、
「あんなに不調を訴えていたのに、気づいてあげられなくて情けない…」
と発覚直後は自分を責めていましたが、
伝えていなかった違和感も加えると、私も十分能天気なので、今となっては笑い話です。笑
笑い話ではないんですが、自分たちの阿呆さ・呑気さ・鈍感さに、未だに涙して笑っています。笑
逆に言えば、笑って話せるほど治療は順調ということです(^^)v
笑って話せるようになって良かった。笑
どこかで「まさか」という思いがあるんだと思います。
疑うことも重要だと学びました。笑
まだまだ人生、勉強だらけです。 あんにょん☆
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