私には、20歳~23歳までの記憶がありません。
解離性健忘(記憶喪失)です。
本のページをめくるように、断片的に思い出せるページ、場面の景色が、数枚あるだけです。
- 入院病棟の個室部屋
- 風呂場でカミソリ
- 全身ずぶ濡れで道路
- ドアの向こうで泣き叫ぶママ
- 元旦那の実家の部屋
以上です。
全部場面の景色だけで、動画では脳内再生できませんので、出来事は分かりません。
無理にこれ以上頑張っても思い出せないし、パニックを起こしそうになるか、苦しくなるので、何度も思い出そうとしたことはありますが、もう深入りしません。
私がうつを発症したのは19歳で、発症した頃の記憶はちゃんと全部あると思います。
その後の3年程がバッサリ切り取られたように、無いんです。
地獄だったことは間違いないので、脳の防衛本能だと諦めています。
見せるものではないので、写メは載せられませんが、傷も沢山あります。
私の場合、手首、足首、太ももです。
私の傷は死ぬ為ではなかったので、足首や太ももの後々後悔した時、見えない所を計算していました。
それだけ冷静ではあったということです。
腕の傷は、後先考えない感情的な時だと思います。
運ばれて縫った傷もたくさんあります。
ODも何回もして運ばれ、胃洗浄で助かったり、発見が遅くICUに入ってたこともありました。
任意という名の、強制入院も2~3回しました。
回数がハッキリしないのは、記憶喪失の期間の話なので、多分の数字です。
他にも症状は摂食障害、パニック障害等、解離障害等、たくさんあり過ぎてキリないので以上にします。
とにかくひどく荒れていたし、今思えば完全に狂っていて、「人じゃなかった」です。
生きていたけど、心は死んでいました。
未来なんか無いと本気で思い続けていました。
自分の存在理由をひたすら探し続け、苦しみました。
そんな私は現在37歳になり、今、「幸せ」だと本当に思っています。
今苦しんでいる人にとっては、とても信じられないでしょう。
私自身、奇跡かなと思っています。
今私は白血病の抗がん剤治療中で、治療しなければ死にます。
「死」が現実的になって、本当にこの記事だけの話にしますが、治療1年目は、
どこかで『死んでもいい』気持ちがまだ残っており、死んでも構わないのに生きようと治療している矛盾に葛藤し、苦しみました。
1年目は1番薬の量も多く、副作用もその分辛いです。
辛い副作用に耐える意味が分からず、
『こんな辛い想いしてまで生きたいと思ってない』
と、親と何回も揉めて、治療放棄もしました。
最低だと頭では分かっているのに、心が言うことを聞いてくれませんでした。
生きるか死ぬか、選ばないといけない毎日のストレスで、30㎏太りました。
どんどん自分の姿が醜くくなり、鏡が一切見られなくなりました。
希死念慮は脱し、うつは卒業できていましたが、1度重度のうつに陥ると、うつは治っても軽い精神疾患は残るようです。
科学的に言えば、脳の病気ですからね。
1度壊れた脳は、そう簡単に完全には治らないのは不思議じゃないので、仕方ないと思っています。
実際うつとは診断されなくなっても、症状や発作はたまに出るので、何らかの病名は付き、現在も精神科に通院していて、安定剤も飲まないと、頭が動きません。
以上、私の経験談を、ザックリと説明しました。
本当は太い1冊の本が書けます。
大事なのはここからです。
私がどうして『幸せだ』と思えるようになったか。
何回も何回も未遂をして、毎回毎回失敗に終わったある日、
- 『何回失敗して周りに迷惑かけるの』
- 『私は死ぬ勇気すらないんだ』
- 『私は結局死ねない、生きなきゃいけない』
- 『じゃあこのままは嫌だ』
と順に感じ、地獄の3年を経て初めて、【病気を治す】ということと、向き合いました。
私は周りの環境に恵まれていたので、それからは割と早く、希死念慮は付きまといましたが、実際行動に移すことは格段に減りました。
カウンセリング・スピリチュアルカウンセリング・写経等、半信半疑でも勧められたものは何でもやりました。
私の場合、1番効果があったのは、
「自ら1人で他県にリゾートバイトに行って、誰にも頼れない状況を作って自分を鍛える」
ことでした。
3か月程度でしたが、やり切ると達成感で、自分に自信がついて、すごく嬉しかったです。
治したいな~という気持ちを、保ってる状態前提での話です。
休養しながらも、気が向いたら求人情報を見ました。
気が向いたらです。
興味が出たら・調子が良かったら・理由は何でもいいです。
気が向いたら、挑戦してみました。
ここで大事なのは、絶対『続けなきゃ』と思ってはいけません。
挑戦できたら、90%は達成できた気分で、あとは気持ち次第で、『辛い』と思ったらすぐ辞めました。
辞めたら自己嫌悪でしばらく落ち込むので、また休みます。
私の場合、家族や当時の彼が
「そっか(*^^*)」
「お疲れ様(^^)/」
「頑張ったね!(^^)!」
「大丈夫よ(´▽`)」と、
誰1人私を責めず、ガッカリせず、次を急かさず、長い目で見守ってくれていたのが、かなり恵まれていました。
病む前は、バリバリ働いていたので、誰よりも社会復帰しなきゃいけないと私が分かっていたので、むしろ
「焦らないで」と耳にタコで、いつからかマイペースをもじって、ユイペースと言われるようになりました。
大事なのは、挑戦することをやめないことです。
逸る心を抑え休んで、自分が気が向くのを待ちました。
挑戦することをやめなかったら、少しずつ頑張れる日が長くなりました。
そのうち自分のパターンが分かるようになりました。
私は半年が限界の人ということが分かったんです。
- 始めは、やる気満々
- 2か月までは仕事慣れるのに必死
- 3か月で仕事に慣れ余裕が出てくる
- 4か月で余裕が出て周りが見えてくる
- 5か月で周りの視線が怖くなる
- 6か月、怖さに耐えられず限界、辞職
何の仕事に就いても、こうでした。
それからは、半年しか働けないベースで仕事に就きましたが、休養は変わらず大事です。
すぐには再挑戦しません。
私は『早くまた頑張らなきゃ』と焦り癖があるので、
半年頑張ったら半年休む。ルールを自分に作りました。
今考えれば、【開き直る】を覚えられた始まりです。
『休んでいいんだ』と自分を許せると、安心して休養できました。
半年頑張って半年休む。
これは、白血病発症するまで続きました。
私は自己肯定感が極端に低く、何かあるとすぐ自分を責めます。
世の中や、周りや、人のせいにできない性で、自傷も自分に罰を与えるような形でした。
今でも自己嫌悪に陥りやすく、自己肯定感は低いままですが、【開き直る】ことを完全に覚えたので、病まなくなりました。
人並みに落ち込んで、開き直って切り替えられます!大成長です。
自分の醜い姿も、交友関係を全部切り、自らボッチになることで、人の目を気にせずに済んだら、開き直れるようになりました。
他人の目には元々興味がないので、気にならず、堂々と歩けます。
うつ全盛期は、
何で生まれてきたのか
何の為に生きてるのか
何もかも面倒。生きてる事も…
それしか考えていませんでしたし、同じように悩む人が多いと思います。
参考にはならなくても、私の経験上の答えを言います。
生きてる特別な理由なんて無いです。
理由を求める気持ちは嫌ってくらい分かります。
が、そもそも求めることが間違っていたというか。
理由があって欲しいから求めるけど、みんな「ただの人」なんです。
「特別な人」なら、生きてる理由があるでしょうが、大抵の私たちは「ただの人」です。
『理由なんて無い。私はただの人。過剰評価しなさんな』
と自分に言い聞かせ、『そっか』と受け入れられてからは、随分楽になりました。
存在理由が別に無いなんて、受け入れたくないので「あるはずだ」と探しまくるんだと、私は思います。
これが私も悩み苦しみまくった末に出した、私個人の答えです。

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